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難病“後縦靭帯骨化症”の闘病記
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CELICA GT FOUR RC #163/5000 後縦靭帯骨化症 愛犬バビの『犬の視線日記』 愛犬バビの『犬の視線日記』Blog編 妻の猿まわし ・・・・・ LINK Mail
個人情報保護方針
はじめに
ご訪問頂いた皆様が一番知りたい事からお伝えしようと思う。
私は2005年6月16日、大阪の富 永 病 院にて後縦靭帯骨化症(OPLL)の手術を受けた。
【手 術 前】歩くたびに全身に電気が走る強い痺れあり。排尿、歩行等の障害は無し。握力左右ともに40kg。
【手術方法】手術は頸椎前方除圧固定術。頸椎の5番と6番の間の骨化を除去後チタン製ケージにて補強。
【手 術 後】リハビリ無し。投薬無し。(※術後3日間のみ点滴有り。)入院期間7日間。握力未計測。難病認定下りず。

2010年現在、後遺症無し。唯一肩こりに悩まされるが日常生活に全く不具合無し。過去2年、定期検診さえ受けず。

管理人より訪問して下さいました皆様へ

ここに記載させていただく内容はあくまで私の経験談です。
残念ながら私は医学的知識の豊富な人間ではなく皆様のお役に立てる人物でもありません。
ただOPE後6年を経た現在、同じOPLLの手術をされた方々やOPLLのコミュニティーを通しさまざまな経験談を聴かせていただく機会が有りました。
ここに記載させていただく自身の経験談が何かしらの参考になれば幸いと感じております。
(※これ以後標準語の理解が怪しい管理人は関西弁での記載となります。ご理解下さいませ
。)

手術前は何の情報も無く多少の不安を感じての入院となったが術後5年、おかげさんで俺は元気に過ごしとります。(2010年現在)
このサイトの掲示板を通して知り合った同じ病気の方々と『心配無くそうOPLLの会』という集まりも出来ました。
ここでは3〜4ヶ月に一度大阪難波でオフ会を開いとります。
『心配無くそうOPLLの会』
皆様と直接お会いして感じた事・・・
それはこの病気、症状も後遺症もさらには手術方法も患者個人や病院によって異なるということ。
一番大事な事は自分に合った病院を見つける!これに尽きると思う。

余談ではあるが今年生命保険の書き更えがあった。継続契約捺印後、約1週間で特約不可の連絡をくらう。何でじゃ?
その後2ヶ月、話し合いの末そのまま特約に入れた。『俺に言わせれば捺印契約後に何ぬかしとるんじゃ!』って感じやが・・・
この病気、難病のくせにメジャーやないんで世間の知識はメチャ低い。
ちなみにその特約は『寝たきりになると◯◯万』いうやつ。ホンマこの病気思いもよらんデメリットが付録に付いとる。皆さんもご注意あれ。

後縦靭帯骨化症(OPLL)闘病記 =発症〜初診=

発症と自覚症状 その1

私は2001年から自営のデザイナーをし、独立前も職種は同じで1日中PC画面に向かう毎日が20年程続いとります。
1995年頃から2〜3時間おきに休憩をしたくなるような痛みを首の後ろに感じておりましたが『どうせ筋肉痛やろ』位にしか考えとりませんでした。
完全な自覚症状が現れたのは2005年の3月。独立3年目でこれからいう時期でした。
ある日、両手の人差し指と中指の第二関節から指の付け根までの感覚が鈍い事に気づく。
『なんでじゃ・・・?』

それはそこを触っても『感触』が無いような変な感じで試しに針で突いてみても『おんやぁ〜?痛ない。。。』
全く不思議な感じがしたんやけど病院に行くという行動には至りませんでした。

発症と自覚症状 その2

その後『変やなぁ?』とは思いつつ毎日仕事に追われとったある日、別な症状が現れよりました。
コレまたケッタイな症状で正確に文章にはしにくいんやが『振り向いたり、体をねじったりすると背中にビリビリっと電気が走るような感覚』・・・
たとえば『歩くとき踵が地面に突くたびにビリビリっ!』
『階段を下りる度にビリビリっ!』
しかもこの『ビリビリっ!』結構な強さで痺れる度に首が勝手に縮む!
そんな俺の歩く姿を見る人は理由がわかる筈も無く『なんじゃコイツ??? ケッタイな歩き方しとるなぁ。。。』と感じたと思う。

さらにもうひとつ別の自覚症状が現れる。

『物を飲み込む時、喉の奥にひっかかるような違和感』が出た。

正直この時は自分で喉頭癌かと疑った。
それほどアカラサマに『俺の喉ん所に何か有るでぇ〜〜〜っ!』と解る程の感覚どす。

それでも自分が難病であるなどいう自覚は無く『寝不足と過労で神経がおかしくなったか?』
ちゅ〜位にしか考えず昼は仕事、夜は打ち合わせと飲み会。。。そんな毎日が平日、休日を問わず続いておった。

そんなある日の深夜、お客と飲んで店を出ると“例のビリビリっ!”が走り出した。
しかも今迄が20〜30ボルトの電圧やったとしたら・・・この痺れは完全に100ボルト・オーバー!
『自家発電のエコなエネルギーとして電力会社に売ったろかぁ〜!?』いう程の凄まじさやった。

こ。。。これはなんやヤバイ感じやがな。。。ま、まっすぐ歩けんどぉ〜〜〜〜〜っ!

痛みを我慢しながら深夜帰宅、その後バク睡。
そして明くる朝目覚めると・・・

げっ! なんじゃぁ〜こりゃぁ〜〜〜〜っ! 両手が痺れて身体を支える事が出来ん!
えらいこっちゃぁ〜っ! 身体がブっ壊れてもぉ〜たぁ〜っ!

地元での診断結果

さすがに自分に『ド』が付く程のマゾで鈍感な俺も危機感を抱き地元の総合病院へ・・・

受付で症状を伝えると『脳神経外科』の受診と告げられる。
『なんで脳神経外科じゃ?』俺の頭がどなかなったんか?

脳外で問診後レントゲンにMRI検査。
再度診察に呼ばれた時 “かなり深刻な状況や。今日、今から入院しい。” と先生は俺に言いはりました。

『なんやとぉ〜〜〜〜っ!首の神経が圧迫されとるぅ〜っ!?』

その時診断された病名は『頸椎ヘルニア』。
俺の頸椎の神経は太さが3分の1程になるまで、飛び出したヘルニアによって細くなっており状況によっては神経が切断したり、深刻な麻痺を引き起こす可能性があるとドクターが言うとる。
さすがに一瞬怯んだが月末締め切りの仕事を受注してたことと、別の見解が有るかも知れんと考え帰宅する事を選んだ。
先生は、『これだけは絶対着けとけ!』とカラー(頸椎固定具:下の画像参照)を渡されさらに
『異変を感じたら、昼夜を問わずここに連絡して来い。』と電話番号を渡されてしもた。

その先生の診断では治療は手術によるもので入院期間は3ケ月・・・なんやてぇ〜〜〜っ!

『3ケ月も入院したら暮らして行けんやんけぇ〜っ!』俺は叫んだ。

カラー 頸椎固定具
その時渡されたウレタン製頸椎固定具

内部に金属の薄い板が入っておって首の形状に合わせられる仕組み。
かなりのフィット感は馴れるまで苦しい。ただ首は固定されるんで痺れは和らぐ。
表面に布性のカバーが有りそれ自体は取り外して洗える。が・・・
装着した季節が梅雨前やったんで暑っつい!暑っつい!
就寝時も装着するんやが(寝返りの時に患部に負担がかからんように。)寝つくんにはなかなか馴れが必要じゃ!こいつには手術後、別のカラーに交換するまでお世話になる。

後縦靭帯骨化症(OPLL)闘病記 =セカンド・オピーニオン=

専門病院の選択

家に帰って
診断結果を嫁はんに話す。
げ。。。さすがに嫁はん落ち込でしもたがな。おいおい・・・まるで
俺が死ぬよ〜な目で見とる!
しかし生まれつきポジティブな俺は、まず受注した仕事を片付け請求書をいれることを優先した。(なんせ自営業。入院したら給料無し!)
ただ最悪の場合『首から下の麻痺』と言われたので、それだけは避けなアカンと思たが・・・
『他のお医さんはどない言うんやろ?』と思い『頸椎に関しての専門病院』探し始めた。

Webで調べたり知り合いに聞いたりと色々したが、最終的にある病院に決定。

その病院は大阪の富 永 病 院で脳神経外科としてはかなり有名な病院。(もとボクサーで現在俳優の赤井氏の例などで大阪では有名)
またラッキーな事にこの病院、たまたま俺の事務所から徒歩10分ほどの距離。
しかし入院となると和歌山の自宅からはかなり遠く、嫁はんには不便をかけるが・・・
『まぁ〜考えるんは後でエエ〜わ。』とにかくセカンド・オピニオンの受診を決めた。
そしてこの選択が運命を分けることとなる。

セカンドオピニオンの結果

病院へ行くと・・・メチャ混んどる。
約1日かけて受診。『MRI』に『レントゲン』と検査内容はこの前と変わらん。
検査結果に『手術必要なし』を期待しておったが・・・

まず最初に担当のドクターが俺に言いはったことは『よぉ〜こんな酷るまで我慢できたなぁ!?ふつうに日常生活おくれてますんか?』やった。
ドクターの見解はやはり頸椎の神経の圧迫が強く、このままやと何らかの衝撃(事故や転倒など)を受けた場合、健康な人と比べて神経に大きなダメージを受ける可能性が高いらしい。
最悪の場合はやはり首から下の麻痺が考えられるとも言われた。
ただし手術をしなくても一生切れない可能性もあるとのこと。

だがその場合も痺れの進行は避けられず、進行すると手術をしても痺れや麻痺は残ることが多いとも聞いた。
また『医師としては手術を勧めるが、最終的には本人の意思にまかせます。』ともおっしゃいましたが、『現在の進行具合から、この手の手術の回復度は現在の痺が60%程に和らぐ程度(個人的差は有り)と考えておいて下さい。』とも付け加えて説明を受けた。

ここまでドクターの話を聞いてひとつ質問した。

『俺は自営業ですねん。3ケ月も入院したら皆に迷惑かけますし、食べて行けませんわ。通院でなんとかなりませんか?』

するとドクターは・・・
『3ケ月?処置の方法が私と違うかと思うが、あなたの場合約2週間、速ければ10日以内で退院出来ますよ。』

なんじゃと〜!!! そんな短期間でぇ〜!!!

最初の病院とエライ違うがな!
しかも病名は“後縦靭帯骨化症(OPLL)”なんじゃそりゃ・・・聴いた事無い。
この後、俺は手術についての詳しい説明を聴いて帰路ついた。

=ひとくちメモ=
手術から退院までの入院期間は病院や手術の方法(最も病状に左右されることなんやが)によって様々で有ることが、体験者の集い
『心配無くそうOPLLの会』で解ることとなる。この集いで複数のOPLL手術体験を聴くことが出来ましてん。
入院期間最短が俺の1週間。長くは3ヶ月という方もおられました。
さらに術後は3日〜7日別途の上で首の左右に砂袋を置いて過ごすという体験をされた方も・・・
実は俺の場合も最初の病院で手術した場合・・・この砂袋が待っていたようである!!!
俺にとってはセカンドオピニオンを受けたことが回避に繋がったといえる。

究極の二者択一

セカンドオピニオン後、ドクターから聴いた話を総合にし俺が迫られた二者択一の選択。。。
選ばんといかんかった内容は以下の通りです。

【選択その1:手術しない場合、これから先で考えられる事】

1:痺れを進行させながら生活し続ける > 仕事が出来なくなる可能性有り。(←これは良ぉ〜ない。。。飯が食えんなるかも知れん。。。)

2:強い衝撃でいきなり神経切断 > 首から下が麻痺 > 寝たきり!(←これはアカン!寝たきりは避けなアカン!)

【選択その2:手術受け考えられる事】

1:現在の状況の60%程の改善は見込まれる。 (←100ボルトの痺れが60ボルトにか・・・あんましエエ〜結果とは言えんのぉ。。。)

2:術後の回復が自分で予想出来ん。切ってますます酷くなる。手術失敗>速攻麻痺!(←最悪のシナリオじゃぁ〜〜〜!)

むむむむむ・・・・・むむむむむ・・・・・
俺は考えた。。。『手術すべきか否か。』なんせ一回メスを入れたら基には戻らんしのぉ・・・
かといってこんなビリビリ痺れながら生活ものぉ・・・・

俺は考えたが・・・結局どれもやってみな解らん事。考えて答えが出る問題でもない。

ならば消去法で。。。まずはこの痺れをとる事と将来の麻痺を回避することが最大の目的である。 ならば・・・

俺は手術を選んだ。

とりあえず嫁はんに手術の意志を報告するも言い出したら聴かん俺の正確を熟知しとるため『手術がんばってな!また退院して稼いだらエエよ!』
で、あっさり家族会議は終了。
翌日。俺は病院に手術希望と入院の手続きに訪れた。

手術のための検査入院

通常今から予約すると手術は約3ケ月待ちらしい。しかしなるべく速くと希望していた甲斐あって2週間後に検査入院との知らせが来た。
結局5月の終わり頃から6月にかけて約1週間の検査入院決定。

入院日を決める時、病院事務の人から『殆ど月末からの入院になりますがよろしいですか?』と聞かれた。
即答で『はい!』と答えたが後にこの問いかけが、ある意味を持つ事に気づく。

=ひとくちメモ=
これは国民健康保険高額療養費の件。高額療養費の請求は1ヶ月ごとで計算される。
つまり事務の人が言うた事は、月を跨ぐ短期入院では合計金額が『高額療養費の恩恵を受けない金額けどよろしいですか?』ちゅ〜ことになります。
(↑最初からこない言うてくれ!)

検査入院の試練(造影検査)

予定通り検査入院。
これは手術するにあたり、患部はもちろん俺の身体の『あんなとこ』やら『こんなとこ』をくまなく検査し手術に耐えれるか否かを調べるらしい。
そして何といってもメインはコレ。造影検査どす!

造影検査は背骨に造影剤を注射して患部の状態や他の箇所に新たな疾患がないかを確かめる検査で、これら全ての検査結果に基づいて手術の方法が考慮されるらしい。この検査は家族の同意書も必要。・・・なんや、やっかいな検査やと嫁はんも立ち会う。

あくまで俺の感想やが・・・

OPLL発症から手術、退院までを通し、この造影検査が一番の激痛やったんじゃ=========っ!

開始直前ドクターから『リラックスして検査にのぞんで下さい』とのアドバイス。
ラジャァ〜!全然大丈夫!いつでも開始してくんさい!俺は余裕ブっこいて検査台でスタンバイ。
『この検査、人によって感覚は違いますが、吐き気や頭痛、カユミなどを伴うかも知れません。異常が有れば教えて下さい。』
ドクター語りながら検査開始。

『ゴリッ!』背中に針が入る感触と共に造影剤が身体の中へ・・・・
おんや・・・?
おいおい・・・なんや強烈に寒なって来たぞ。。。おいおい・・・おい!
おい!おい!おい!

痛ぁ〜〜寒ぅ〜〜〜痛ぁ〜〜〜〜っ!

俺は自他共に認めるM体質で痛みには鈍感である。よってこの造影検査も完全に舐めてかかっておった。
しかし造影剤は俺の身体とは仲良くなれんかったらしい。
腰から足先の関節や筋肉が縮み上がり凍りそうに寒い!さらに全身を襲う激痛!
おおお・・・あまりの痛さに気を失いそうじゃぁ〜・・・
そんな俺の状況とは関係なく検査は本格的に開始。

ドクターから瀕死の俺にリクエスト『では身体を反って出来るだけ首を上げてください。』

な、なんじゃとぉ〜・・・こっちは痛みで身体が二つ折れになりそうやのに逆に反れ!?

ほ、ほんげぇ〜!俺は何とか反り返る。

『はい。では次。もっと反って下さい。』

どぉ======っ!

こ、これはまさに『業』。。。
しかも如何なる戒律の厳しい宗教さえブッち切る程の業であった!

『はぁ〜い。お疲れさま。』ようやく検査終了。。。
俺はこの日あまりのダメージで嫁はんの押す車椅子に乗り部屋へ戻ることとなる。

=ひとくちメモ=
造影検査を控えておる皆様へ。
造影検査で俺のように寒さや痛さを感じる事はメチャ稀なことらしいです。
検査経験の有る方々に聴きましても俺のような痛みを感じた意見は有りませんでした。(背中に針を刺すのが痛かったという意見は有ったが。)
ちなみに俺の嫁はんも腰を痛め(手術は不要でした。)同じ病院で造影検査を受けたんやが全く痛みは無かったそうです。
・・・なんでじゃ! 
何で俺だけ痛いんじゃ!・・・・天誅やろか?

検査結果

翌日。嫁さんと妹同席で、俺は検査結果と手術の説明をドクターから受けた。

※ 骨化は首の骨の5番目と6番目の間1ケ所のみで他には無いことが判明。
※ 手術方法は『頸椎前方除圧固定術』で行われる。
(『頸椎前方除圧固定術』=首の前から切開し患部を削り固定する。推体間固定用の為に自家腸骨やチタンケージなどを使用する手術方法。
俺の場合はチタンケージを使用するとのこと。)

簡単にいうと・・・首の前から切開>首の骨の5番と6番の間の潰れた椎間板を取り除く>骨化した靱帯を除去>チタン製の“チタンケージ”と呼ばれるビスのような管のような物を椎間板の代わりに埋め込みますってこってす。

方法は理解できたのだが、この後『手術の同意書』を書くにあたり、家族にとって心配と不安が“てんこ盛り”な説明が幕を開ける

以下同意書の内容記載。



★神経の圧迫を取り除き、進行防止には手術が必要であるが術前の進行具合から症状が十分に改善されない事もあります。

★手術で合併症を起こすことが有ります。
 ◇時に脊髄、神経障害による一過性または永続性の上下肢症状の悪化や新たな出現、非常にまれに四肢麻痺する可能性あります。
 ◇手術後血の固まり(腫瘍)ができ、新たな圧迫が起こる。その時は血腫除去手術が必要です。
 ◇その他稀に、術後気道狭窄による呼吸障害、嗄声(声の枯れ、通常数日から数ヶ月で改善)嚥下障害(飲み込むことの障害。通常数日から数週間で改
  善)、食道損傷、などが考えられます。
 ◇髄液漏れや一般手術に併発する感染(敗血症)、手術創の治癒遅延、心発作、肺炎や各臓器障害などの全身合併症が考えられます。
 ◇長期的には手術をした同部位での再発や隣接椎間(上下)で再発することが稀にあります。
 ◇予測出来ない病態が発症した場合その為の処置や手術を行う場合があります。

★チタンケージ、チタンプレート使用の場合
 ◇チタンは人体に最も親和性に優れた金属ですが金属アレルギーを来す事が約0,1%に認められ人工物であるため感染症の原因となることがあります。
 ◇ケージ、プレート、プレート固定スクリューの脱転、脱出、転移、破損、節損、等により気管、食道などの損傷のため重篤な合併症を来たし、再手術
  を要することが有ります。
 ◇またチタンプレートに関しては、長期的な安全性が証明されておらず、その使用に関しては必要性が危険性を上回るときのみ使用しており、術後の状
  況に応じて後日プレート除去術を行う必要が生じる可能性があります。


・・・殆どエエこと書いとらんがな!
しかし待てよ・・・何処にも髪の毛剃るて書いとらんのぉ。。。文章落ちとるんか?
それともあまりに当たり前の事(髪を剃る事)やから記載しとらんのか?
・・・嫌やのぉ。。。丸坊主。

ふと隣を見ると・・・げっ!
嫁さんと妹が『キッ』とドクターを睨むように目を見開き涙を流しとる!
『し・知らんかったぁ〜っ!!!俺ってこんなに愛されとったんかぁ〜っ!!!』と妙に感動。
しかし睨まれたドクターも災難じゃ。。。

手術の同意書を受け取ったから、このまま記入しても良かったんやが・・・
俺以上に落ち込んどる嫁さんと妹を二人で帰すのも可哀想に思い、同意書を記入するための時間が欲しいという伝える。
そしてその日は外泊許可のもらい家に帰る事にした。
俺は帰りに2人を連れて一杯飲みに行った。『完全に立場が逆転しとる。。。』そう思いながらも
『大丈夫やて!首切るだけやて!』と2人の宥める。ほどほどに飲んで帰宅後、俺はすぐに同意書にサイン。そして翌日には提出した。

手術は約2週間後の6月16日となった。

=ひとくちメモ=
ホンマ『同意書』いうんはエゲツナイことばっかり書いてますなぁ〜。
同意書を読んで手術の意志が揺らぐ人もおるらしいですわ。かといって病院側も同意書もらわん訳にはいかんし。。。
俺の場合は全て『可能性の問題』が記載されとるだけやと割り切って殆ど考えんと提出しました。
これって切る本人よりも家族の方が心配な事かの知れまへん。

手術日までの一時退院:手術迄の日々

手術日が決まって、そのまま入院して待つか一時退院するかを聞かれたので迷わず退院を選んだ。
とにかく家に帰りたかった。ほんの数日の検査入院やったがやっぱ家が一番じゃ。
病院に戻るんは手術前日でOKとのこと。
このスケジュールを聞く限り大した手術の気がせんもんじゃ。。。

しかし俺には手術まで他愛無い悩みも有った。すべて経験すると『なるほど。』と解ったんで他愛無い悩みと結果を記載しまっさぁ。

《悩み-1》髪の毛は剃られるのか?>>>
【回 答】俺の場合、全く剃る事も切る事もなかった。首の前からメスを入れた為か? ちなみに当時の俺、金髪で肩までのロン毛やった。

《悩み-2》首は“回る”ようになるのか?クルマは運転出来るのか?
【回 答】確かになかなか回らんかったが日にちが経てば、ほとんど不具合無く回る。クルマも首が回り出せば運転問題なし。
     けれど最初の1ケ月は車庫入れ出来ず。それ以前にサイドミラーさえ見れんかった。
     多分手術した人は皆、この時期『ホンマに治るんか?』と疑問視するかと思う。

《悩み-3》馬鹿げとるが・・・ビスやゲージが外れ、首が外れることは無いのか? 運動しても大丈夫か?
【回 答】今も外れずに首は付いとる。骨が1つに固まってからは一般的な運動に支障を感じた事はない。

=ひとくちメモ=
骨が固まるとは・・・?
俺の場合5番6番の間の骨化を取り除いたおり、椎間板も切除してしまうので5番6番の骨を『チタンケージ』で仮に繋いだ。
仮にと書いた意味は、最終的に人間の再生機能により骨折が治るが如く『チタンケージ』を芯とし5番6番が繋がって一つの大きな骨になる。
骨が1つになった代償として、首の回りが悪なる人も多いらしい。
それともう一つ。関節が一つ減る事となる。

あっという間に手術の日は近づく。
極力、家族ともいつも通りに過ごしとるけど・・・ちょっと空気が重いのぉ・・・。
皆心配してるんやろうな。。。
当分クルマの運転は出来んやろうと毎日車に乗り続ける。
洗車は元気に帰って来てからしようと、結局せずじまい。
そんなこんなで明日は手術の為の再入院やとなる。
当分家に帰れんことと退院まで病院食になるため手術前の晩餐はステーキで景気付けをした!元気に帰ってまたステーキ食べたるどぉ〜〜〜〜〜っ!

▼ 手 術  

6月15日(手術前日):再入院

さすがに病院に着くと気が重い。先日は一時帰宅で家に帰れて喜んどったけど・・・実は手術はこれからなんよね。。。
嫁さんと一緒に明日の手術室の場所を確認に行く。
手術室の階には別の受診者の待ち合いも有るやが、その壁にはいくつのもモニターが有る。
実はこの病院はモニターによる
“公開手術”が行われとる。そう手術の状況がライブで映し出されるんじゃ。
画面には丁寧にテロップまで・・・
どうやら明日は俺もライブ・デビュー。まぁ〜実際は全身麻酔で意識もないさかいカメラに手の一つも振れんけどな。。。

=ひとくちメモ=
ライブ中継は完全に個人情報・プライバシーが守られとるんで心配なく。

明日の手術の説明を受けた後、嫁さんは帰宅。
実は検査入院を含め、家族にはあまり長時間かけて面会に来んでエエと伝えとる。
嫁はんも働いとる共稼ぎ夫婦という理由もあるが・・・大した手術やないと思わせる俺なりの気配りじゃ。

さてベットでボケ〜っとしてると明日の手術に備えて、細かな説明が看護士さん、麻酔のドクターと次々と現れた。
最後に手刀のドクターが訪問、リラックスするようにと話があり前夜を迎える。
むむむ・・・明日の今頃は手術も済んどるはずやのぉ。いっそこのまま24時間先へ飛び越せんもんか。。。
明朝は8時開始なんで6時には起きんとあかんなぁ・・・人間なんでも時間の段取り考えるもんやのぉ。
さすがになかなか寝付けんかったが俺は深夜眠りについた。

6月16日(手術当日)

どれくらい眠ったろう。俺は目覚ましより早い時間に目覚めた。
顔を洗って注意事項に従い髭を剃る

=ひとくちメモ=
髭を剃るんは口に加えた送管チューブをしっかり顔にテーピングする為。口の回りに髭が有るとテープがひっ着かん。
ロン毛は剃らんでも口髭は剃る。体験者のみ知る豆知識なり。

そしてスッ裸に大人用のオムツを装着し手術儀を羽織る!
・・・このコスプレどんなプレーやねん。
ちなみに大人用オムツは売店で手術用2枚入りが発売されとる。よぉ〜出来た病院やのぉ〜・・・などと考えていたら家族到着。


『がんばってな!』と嫁はん。まぁ。。。がんばるけど俺は寝とるだけやで。
そうこうしておるとナースが来て麻酔導入用の点滴開始。こら躊躇するまもなくスケジュールは進んでいくがな。。。
数分後迎えのナースが『行きましょか!』と車椅子と共に登場。俺は点滴したまま車椅子に座った。

手術室入室

手術室に入る時、何度も嫁さんとオカン声をかけられたが俺はあえて素っ気なく『心配せんでエエ。』と振り向きもせず手術室へ入室した。
今生の別れやあるまいし、振り向かんのはゲン担ぎじゃ。
しかし後で嫁さんに聞いた話やが、手術室への入り方と手術室の扉がしまった時が最悪の気分で
『もう一回、ちゃんと顔見といたら良かった!!』などアホな事考えたらしい。

縁起悪〜っ!死なへんちゅ〜ねん!

さてさて、初めて見る手術室の中は・・・意外とコジンマリとしる・・・ここで俺の首切るんかいな・・・
仰々しい機械や照明器具もなく機能的やんかいさぁ〜・・・こらウチの事務所の方がゴチャゴチャしとるのぉ。。。
ただこの部屋・・・めっちゃ寒い。(エアコン+術衣のしたは裸やからじゃ。)
そしていよいよ担当のドクターが登場!
俺に『心配要らんからリラックスして安心するように。』と普段と変わらん口調で語る。
俺はドクターに『臨場感が全く無い。』と返答。ドクターマスクの下で笑う。
確かに臨場感など難しい言葉を吐いたが・・・

俺はスッ裸オムツ一丁やけどな。

手 術

しかしこの部屋メチャ寒い! 俺は映画マトリックスでキアヌ・リーブスが薬飲まされて凍り付くシーンを思い出していた。
手術台に横たわった俺の前に麻酔医登場。
ついに開始のゴングが鳴る! 『これから麻酔を始めます。出来るだけ眠らないよう頑張って下さい。』と軽いジョーク飛ばされた。

ほぉ・・・上等や。デザイン屋が徹夜に強いとこ見せたろ!
さらに俺はガキの頃から寝付きが悪いんじゃ!っと意味も無く頑張る。

『ほお。。。頑張りますね〜。これでどうかなぁぁぁ・・・・・・・・・』

麻酔医がそう呟いた瞬間俺は堕ちた。

覚 醒

人や動物の全ては宿命的に死なねばならない。
人は体験するまで解らない死に怯える。
しかし人は・・・誕生を経験したものの、その瞬間についての記憶を残せていない。

後日麻酔に堕ちた瞬間を思い出し『死とはこのような物ではないか』と考える。
痛みは無く、記憶も無く、時間の経過の感覚どころか自分の存在すら感じられない。

どれくらい時間が経ったか・・・ふと気付くと俺の回りには複数の人がいて、俺の身体を横に向けているのに気付く。
『・・・』無意識で身体を起こしその作業に協力。
『先生、この人起きてますわ!』誰かがそう言った。

・・・ふふふ。。。
ふぁっ!ふぁっ!ふぁ〜〜〜っ! 無事生還じゃぁ======っ!

喜んでは見たものの、意識はシッカリせん。
急に眠ったり、目覚めたりをくり返し俺は手術室を出た。
出てすぐに嫁はんとオカンに出迎えられる。

声をかけてくれたらしいが覚えとらん。
俺は嫁はんの顔を見てすぐ『オカンは?』と聞いたらしく、後日『私よりオカン心配か!』と嫁に詰られる。
・・・そんな事いうたことすら覚えとらん。麻酔から置きた直後やに勘弁せぇ〜よ。

嫁はんとオカンは手術中、例のモニターでズ〜〜〜〜っとオペを見とったらしい。
他の待ち合いの患者さんも見れるんでモニターの前には結構な人数が集まってたらしいわ。
嫁さんは心配で最後まで見てたらしいが、もと看護士のオカンは手術の途中『手術ここまできたらもう大丈夫やで!』と言い、ウツラウツラ椅子に座って居眠りしてたらしい。・・・おそるべしオカン。
その後、心配してた嫁も『あんたの首、骨付きカルビみたいやったわ。』と感想の述べておりました。
めちゃ言いくさる。。。
手術は無事成功。時計は午後3時を差しとった。

頸椎固定具(2ピース分割タイプ)
<<< 頸椎固定具(2ピース分割タイプ)

手術後、俺の首には真新しい白いカラー(製頸椎固定具)が巻かれてた。
その後約6ケ月、俺の首に居着く。
このカラーなかなか機能的に出来とる。
2枚のカラーがマジックテープで重なっており、首の高さに調整可能。
手術前に着けてたソフトなやつに比べたら若干涼しい。
このカラーも後で写真付きで紹介します。
▼ 術後7日で退院  

術後の夜

手術を無事終えた俺を確認した家族は、暫く俺の傍らで居ったらしいが、麻酔のせいでアホな質問を何度となく繰り返す俺に閉口しその日は帰宅する。
嫁とオカンを早々に帰らせるに至った繰り返された質問とは・・・『オマエ等飯食うたんか?』らしい。
その後も覚醒と睡魔にくり返し襲われた俺は深夜に完全に覚醒した。
どうやら俺はICUに居てるらしい。。。

次の瞬間尿意をもようす。しかもかなり強烈な尿意!

むむむ・・・尿管が入っておる筈やのに何でじゃ?
管が折れとるんか?
俺はナースコールを押そうとしたんやが・・・おんや?・・・全く身体が動かん!!!
手の指一本も動かん!!!こうなったら声出して呼んだろ!・・・む・・・むむ!!!
声が掠れて出ん!な、何とかせんと首の手術は無事終わったのに膀胱破裂でお陀仏じゃぁ〜〜〜っ!

俺は必死に指を動かそうとするも全く反応無し!
なんでじゃ!神経切れたか?嫌違う。。。身体の自己防衛反応か?とにかく動かん身体に言い聞かす。
『動け。動け。』すると微かに指が動いた!さらに念じる『もっと動けぇ〜!もっと動けぇ〜!』
結局ナースコールするのに30分程かかったがな!
ようやく駆けつけてくれたナースの姿は天使に見えた。
天使の処置で膀胱は破裂を免れた。

手術翌日

翌朝目覚める。

傷口・患部の痛みは全く無い。

四肢に痺れなし。

そしてあの『電気が走る』ような痺れもない。

ただ起きようとするも頭が持ち上がらん!・・・なんじゃこれ!まるでひっくり返った亀じゃ!

両手で頭を抱え腹筋で起き上がる。

その後普通に朝食(パンやらミルクやらバナナやら)が出て驚く。

=ひとくちメモ=
これも前夜と同じく脳みそが出す自己防衛の命令か? とにかく意志に身体が従わん。この後2日間、起き上がりは腹筋運動となる。
3日目、クシャミと共に頭が前に動く!その後身体は意志に従うようになる。

朝色を食おうとしてたら嫁はんが来た。遠いのに朝早よからスマンこっちゃ。
俺の快復と目の前に置かれた朝食に『まじ!?』と驚く。
『朝早よからスマン』と言おうとしたが・・・げ!今度は声出ん!
これは同意書に書かれてた
術後気道狭窄による呼吸障害、嗄声(声の枯れ、通常数日から数ヶ月で改善)嚥下・・・障害ちゅ〜ヤツやな!
声は出ん。
物食うと咽せる!(特に『高野豆腐』『ビスケット』などのパサパサ系)
俺は首より喉の方がダメージが強く、結局元に戻るのに約2ヶ月を要した。

その後退院までのこと

術後経過の情報を詳しく書こうとするんやが・・・実はあまりに経過良好で書くことが無い。
術後の合併症を防ぐため抗生剤の点滴を受けるも、その他の投薬な無し。
リハビリも無し。4日目にはシャワーの許可が出てこっちがビビる。

=ひとくちメモ=
術後翌日、朝食の後尿管が抜かれ俺は歩行許可が出た。確かに歩行に大きな問題は無い。
よってトイレはもちろん、明くる日から売店まで歩いて雑誌を買いに行く。
本人よりも家族が『首が外れんか』心配しながら俺の後を歩く事となる。
俺の場合、傷口の縫合をしてません。接着剤で傷口を止めただけ。よって抜糸もなし。
ただ術後4日目のシャワーは傷が濡れんよう気遣い精神的にキツかった。

日に日に快復した俺は入院時間の暇を持て余す。洗濯だけが時間をつぶす趣味となる。
仕事をしておれば、すぐに経つ一日の長さを痛感する。やることが無いので早く寝る。早く寝ると早く目覚める。
毎朝5時前に最上階の面会室の自販機で熱いコーヒーを買い、大阪ミナミを窓から眺める。
すぐ目の前には俺の事務所が有るマンションも・・・
早くココを出んとアカン!

そんな日が6日続いたその夜、担当のドクターから『明日退院してもエエけどどうする?』の問いかけ!
二つ返事で『退院します!』出ない声ですぐに嫁はんに電話。
退院のあまりの早さに嫁驚く。

帰 宅

翌日無事退院!帰りは迎えに来てくれた嫁と電車(定期が有るからな。)で帰路につくもさすがに振動が辛い。
我が家に帰ると生きている事を実感した。
これほど早期に家に帰れた事、手術が無事終わり、痺れが全く残らなかった事、心より担当していただいたドクターに感謝したいと思います。

後遺症・その他感じた事

はっきり言って後遺症は感じたことが無い。
ただ喉のカスレが完全に治るのに約2ヶ月。
車の運転を再開するにも同じくらいの月日を要した(車は首が動かんとバック出来ませんねん。)
仕事は退院後1週間後から普通に再開。
2010年現在。未だ後遺症、再発も無く過ごすが不況に喘いでおります。

あとがき

最後に拙い長文におつき合い下さいました事を感謝し、あなた様のOPLLも早期に治る事をお祈り致します。


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